2015年4月12日(日)午後2時から午後5時30分まで、「Tグループを知る」と題して、ODNetwork-Japanの会員を中心に40名ほどが集まってください、TグループがODコンサルタントに必要な訳から入り、Tグループのキーコンセプトや誕生、そして変遷などをお話してきました。参加者の反応からすると充実した研究会になったのではないかと少々自負しています。というか、ホッとしています。Tグループというラボラトリー方式の体験学習のコアとなるプログラムをお話でしってもらうことほど、難しいことはないと思っていからです。
その後、10名ほどが集まり、懇親会があり、後はFACEBOOKに書いた恥ずかしい顛末(携帯をホテルの部屋で失うという)が待っていました。相変わらずのドジ丸出しです。この人生というか、こうしたうかつなことはずっと死ぬまで続くのでしょう。
このように、ホッとしたり、笑って過ごせる類の自分の体験と、もう一方で、本当に小さなことでくよくよする自分がまだまだあります。だいぶさよならできたはずなのですが・・・
今は、HCCオフィス前の駐車場がタイル貼りだったのが、コンクリート舗装になり、排水路の蓋もベタとした感じで、綺麗とは思えない状況に数年前になりました。その工事に同意した自分に情けなさやなぜそうしたのこと、今も、その蓋が鉄の蓋に変わり、またまた綺麗であった場所が道路のような状況になるのではないかと心配ばかりしています。理事会に言うほど、何か思いと別の工事になっていくようです。自分のマンション(店舗)の前の駐車場といえども、借り物と思えばいいのですが、うじゃうじゃと考えてしまっています。
昨日も、一般社団法人日本体験学習研究所の銀行口座を無事開設してきました。口座を解説する際に、カタカナ表記で「ニホンタイケンガクシュウケンキュウジョ」書きました。その後、あれ?「ケンキュウショ」かなと?もうそれだけで、「ショ」か「ジョ」かどちらが良かったのか?そればかりが気になっています。本当に、自分の中で納得すること、負に落とすことってなかなか難し作業です。
こうした小さなことを気にしながら、まだまだこの先も生きていくのでしょうね。そして、人生が終わるのでしょうか?スッキリ生きる方法を知りたいものです。
2015年04月15日
2015年04月10日
本日、一般社団法人日本体験学習研究所の登記完了です!!
本日、2015年4月9日、名古屋法務局に出かけてきました。
一般社団法人日本体験学習研究所は、4月1日付で開設の登記完了の証明書をいただくことができました。
いよいよ法人格をもった研究所として、社会貢献を目指して頑張ります。
私ども「一般社団法人日本体験学習研究所」は、ラボラトリー方式の体験学習を核として、人間関係のあり方を探求することや、対人関係、グループ、組織において相互に学び合い、成長し合える社会づくりを目的とします。
私どもは、その目的を達成するために、次の事業を行います。
(1)社会の多様なニーズに応える教育・研修プログラムを企画立案実施事業及び情報提供活動
(2)人間関係にかかわる分野における研究活動
(3)人間関係にかかわる種々の講座、講演会、イベントの企画・開催・運営活動
(4)ラボラトリー方式の体験学習を視点にすえた研究会の開催
(5)企業・行政・団体・教育・医療等さまざまな機関に対するコンサルテーション
(6)上記各種機関からの依頼を受けた研修プログラム実践者の斡旋・派遣
(7)海外への体験学習の知識や教育技術などの教育・研修事業及び情報提供活動
(8)ラボラトリー方式の体験学習の実習教材等の開発研究・販売及び出版
(9)そのほかに目的に関連する事業
上記のものは定款にかかれたものをですます調に変えました。
一人ひとりが大切にされる社会やコミュニティを創造するために微力ですが、上記の活動に取り組んでいきたいと考えています。
今後ともよろしくお願いします。
とはいえ、本日の流れを記しておきます。
朝10時30分頃に名古屋法務局に到着。3階にあがり、4月1日に申請して、同時時間に来ていただければ登記が完了していますと聞かされていたのにもかかわらず、印鑑カードの申請をすると、まだ登記が終わっていないようなので、しばらくお待ち下さいと、待たされました。平然と座っていたものの、結構、心の中はドキドキでした。
やっと、印鑑カードを受け取ることができホッと。
その後、登記事項証明書と印鑑証明書をもらうために、2階に降りる。マシンでできるとのことなので、挑戦するがダメ。証明書申請を出し、収入印紙を購入し、窓口に申請。暫く待つこと、やっともらって、名古屋法務局を後にしました。

その足で、平針支店の三菱東京UFJ銀行に行きました。銀行口座を開設するためです。これが結構時間がかかりました。そして、挙句に1週間過ぎに連絡があって、開設ができるとのこと。少々驚きながらも、仕方ないと帰ってきました。ただ、友人からの情報では、長すぎる感じ。なんか信頼されていない感じがしてきて、だんだん怒りに近い感情が今はニョキニョキです。明日にでも、もう一度銀行に立ち寄ってみようかなというところです。

HCCに帰り、JIELの研究員に報告。そして、ホッとして、一人だけですが、ささやかに乾杯をしました。

HCCオフィスも、外観が綺麗になって、新しい門出を祝ってくれているようです。
一般社団法人日本体験学習研究所は、4月1日付で開設の登記完了の証明書をいただくことができました。
いよいよ法人格をもった研究所として、社会貢献を目指して頑張ります。
私ども「一般社団法人日本体験学習研究所」は、ラボラトリー方式の体験学習を核として、人間関係のあり方を探求することや、対人関係、グループ、組織において相互に学び合い、成長し合える社会づくりを目的とします。
私どもは、その目的を達成するために、次の事業を行います。
(1)社会の多様なニーズに応える教育・研修プログラムを企画立案実施事業及び情報提供活動
(2)人間関係にかかわる分野における研究活動
(3)人間関係にかかわる種々の講座、講演会、イベントの企画・開催・運営活動
(4)ラボラトリー方式の体験学習を視点にすえた研究会の開催
(5)企業・行政・団体・教育・医療等さまざまな機関に対するコンサルテーション
(6)上記各種機関からの依頼を受けた研修プログラム実践者の斡旋・派遣
(7)海外への体験学習の知識や教育技術などの教育・研修事業及び情報提供活動
(8)ラボラトリー方式の体験学習の実習教材等の開発研究・販売及び出版
(9)そのほかに目的に関連する事業
上記のものは定款にかかれたものをですます調に変えました。
一人ひとりが大切にされる社会やコミュニティを創造するために微力ですが、上記の活動に取り組んでいきたいと考えています。
今後ともよろしくお願いします。
とはいえ、本日の流れを記しておきます。
朝10時30分頃に名古屋法務局に到着。3階にあがり、4月1日に申請して、同時時間に来ていただければ登記が完了していますと聞かされていたのにもかかわらず、印鑑カードの申請をすると、まだ登記が終わっていないようなので、しばらくお待ち下さいと、待たされました。平然と座っていたものの、結構、心の中はドキドキでした。
やっと、印鑑カードを受け取ることができホッと。
その後、登記事項証明書と印鑑証明書をもらうために、2階に降りる。マシンでできるとのことなので、挑戦するがダメ。証明書申請を出し、収入印紙を購入し、窓口に申請。暫く待つこと、やっともらって、名古屋法務局を後にしました。

その足で、平針支店の三菱東京UFJ銀行に行きました。銀行口座を開設するためです。これが結構時間がかかりました。そして、挙句に1週間過ぎに連絡があって、開設ができるとのこと。少々驚きながらも、仕方ないと帰ってきました。ただ、友人からの情報では、長すぎる感じ。なんか信頼されていない感じがしてきて、だんだん怒りに近い感情が今はニョキニョキです。明日にでも、もう一度銀行に立ち寄ってみようかなというところです。

HCCに帰り、JIELの研究員に報告。そして、ホッとして、一人だけですが、ささやかに乾杯をしました。

HCCオフィスも、外観が綺麗になって、新しい門出を祝ってくれているようです。

2015年04月05日
南山大学名誉教授の称号をカルマノ学長よりいただきました!!
2015年3月31日(火)をもって、南山大学教育職員としての仕事を終えることができました。
1977年に名古屋大学大学院の修士課程(博士課程前期)を終え、非常勤講師として、南山短期大学人間関係科で教鞭をとることができたのが大学教員生活のすべての始まりです。1979年4月に常勤の講師として人間関係科に迎え入れていただき、それから21年、2000年4月に人文学部心理人間学科を開設と同時に移籍しました。そして、15年。合計36年の南山学園での勤務でした。非常勤時代を入れると38年です。
思い起こせば、本当にたくさんの人たちとお会いすることができ、またたくさんの出来事にも出会い、充実した人生を生きてきています。
その結果として、さる4月2日(木)には、南山大学名誉教授の称号をいただくことができました。これまで出会ったきたみなさまに深く感謝です。
これからの人生は、南山短大人間関係科と南山大学人文学部心理人間学科でまさに体験しながら学ぶことができた「ラボラトリー方式の体験学習」を少しでも多くの人に伝え、人々が喜びに満ちたかかわりの中で一人でも多く暮らしていけることができるようになることを願って、「一般社団法人日本体験学習研究所」を立ち上げ、自らのエネルギーをかけていこうと決めました。仲間の力を借りながら、また多くの方々との新しい出会いを大切にしながら生きていきたいと考えております。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。

カルマノ学長とともに

学長と3人の副学長とともに

全員で記念写真
1977年に名古屋大学大学院の修士課程(博士課程前期)を終え、非常勤講師として、南山短期大学人間関係科で教鞭をとることができたのが大学教員生活のすべての始まりです。1979年4月に常勤の講師として人間関係科に迎え入れていただき、それから21年、2000年4月に人文学部心理人間学科を開設と同時に移籍しました。そして、15年。合計36年の南山学園での勤務でした。非常勤時代を入れると38年です。
思い起こせば、本当にたくさんの人たちとお会いすることができ、またたくさんの出来事にも出会い、充実した人生を生きてきています。
その結果として、さる4月2日(木)には、南山大学名誉教授の称号をいただくことができました。これまで出会ったきたみなさまに深く感謝です。
これからの人生は、南山短大人間関係科と南山大学人文学部心理人間学科でまさに体験しながら学ぶことができた「ラボラトリー方式の体験学習」を少しでも多くの人に伝え、人々が喜びに満ちたかかわりの中で一人でも多く暮らしていけることができるようになることを願って、「一般社団法人日本体験学習研究所」を立ち上げ、自らのエネルギーをかけていこうと決めました。仲間の力を借りながら、また多くの方々との新しい出会いを大切にしながら生きていきたいと考えております。
どうぞ今後ともよろしくお願いします。

カルマノ学長とともに

学長と3人の副学長とともに

全員で記念写真
2015年03月31日
本日(2015年3月31日)退職辞令式がありました!!
本日、2015年3月31日、年度末最終日。私にとっても大学教員としての一区切りの年になりました。
午後1時30分より、学長室にて、マルクス理事長より、退職辞令をいただきました。カルマノ学長と副学長、はじめ事務長などが同席して下さり、36年(非常勤時代を入れると38年)を短い時間でしたが、ふりかえりました。本当に、終わってみれば、早いものです。いろいろなこと、いろいろな人と出会いながらの南山学園での生活でした。感謝です。
この間、3人の子供が生まれ、その子どもたちも30歳を過ぎ、一人は南山学園でお世話になるという、つながりを感じています。これからは、南山学園がさらに発展することを願うばかりです。
これから、実際に、明日から新しい世界に飛び出すことになります。まずは、法務局に出かけ、一般社団法人の申請です。もう少し、人と人とが関わることが楽しいと感じられるような現場を創るお手伝いができればと考えています。よろしくお願いします。
南山大学を出るときに、桜の花が送ってくれました。
午後1時30分より、学長室にて、マルクス理事長より、退職辞令をいただきました。カルマノ学長と副学長、はじめ事務長などが同席して下さり、36年(非常勤時代を入れると38年)を短い時間でしたが、ふりかえりました。本当に、終わってみれば、早いものです。いろいろなこと、いろいろな人と出会いながらの南山学園での生活でした。感謝です。
この間、3人の子供が生まれ、その子どもたちも30歳を過ぎ、一人は南山学園でお世話になるという、つながりを感じています。これからは、南山学園がさらに発展することを願うばかりです。
これから、実際に、明日から新しい世界に飛び出すことになります。まずは、法務局に出かけ、一般社団法人の申請です。もう少し、人と人とが関わることが楽しいと感じられるような現場を創るお手伝いができればと考えています。よろしくお願いします。
南山大学を出るときに、桜の花が送ってくれました。

2015年03月26日
3月もあと少しとなりました!!とにかく運動と食事制限で健康的に・・・
本日は、3月26日(木)です。3月のハードなスケジュールもほとんど終わり、大学の個人研究室から運び出した荷物をぼちぼち整理を始めています。思い切って捨てられず、結構な荷物がせっかく創ったHCCギャラリーを占領してしまっているのです。
今日は、ファシリテーション研究ゼミのメンバーがやってくるということで、食事ができるだけのスペースをとにかく、創った感じです。
ここのところ、火曜日・水曜日・木曜日と、ウォーキングでHCCまで、ほぼ1時間少しかけてやってきています。食事も出来る限り炭水化物をとらないようにして、減量大作戦です。4月から動き出すJIELの活動に少しでも身軽に動けることを願っています。
ちょうど先日の人間ドックの結果も届き、大きな問題は書かれていず(と勝手に自分が解釈)、とにかく、運動と食事制限が目につきました。
少し時間的に緩くなる分、運動と食事をコントロールして、なんとかめざせマイナス10Kgです。
果たして、いつ?
今日は、ファシリテーション研究ゼミのメンバーがやってくるということで、食事ができるだけのスペースをとにかく、創った感じです。
ここのところ、火曜日・水曜日・木曜日と、ウォーキングでHCCまで、ほぼ1時間少しかけてやってきています。食事も出来る限り炭水化物をとらないようにして、減量大作戦です。4月から動き出すJIELの活動に少しでも身軽に動けることを願っています。
ちょうど先日の人間ドックの結果も届き、大きな問題は書かれていず(と勝手に自分が解釈)、とにかく、運動と食事制限が目につきました。
少し時間的に緩くなる分、運動と食事をコントロールして、なんとかめざせマイナス10Kgです。
果たして、いつ?
2015年03月22日
昨日、学部・大学院の学位授与式(卒業式)でした!!
昨日(2015年3月21日)、無事に学位授与式を終えることができました。
南山大学教員としての最後の卒業式でもありました。
相変わらず、ファシリテーション研究ゼミのメンバーは、卒業する10名の4年生を、しっかりと3年生と2年生の後輩たちが取り囲み、共に作って文集のプレゼントなどあたたかな卒業後のセレモニーがありました。私の最後の年、最高の学生たちに囲まれての退職になりました。


夕刻には、大学院人間文化研究科教育ファシリテーション専攻の修了生が9名、こちらもすでに終了している学生も遠くから集まり、現役のM1を中心に、素敵なお疲れ様会になりました。こうしたつながりが生まれていることに感謝です。
私も、退職までいよいよ10日を切ろうとしています。淡々と時を過ごしています。
人文学部心理人間学科へのプレゼントとして、「プロセスに学び プロセスに生きる」私の自らのメッセージを家内に書いてもらい、額装して、学科長に手渡しました。

「プロセス」を「変化」と読み替えて頂いてもいいかもしれません。
ラボラトリー方式の体験学習を長年やってきた私なりのメッセージです。
学科の合研の会議室に飾っていただけるとのこと、家内ともども喜んでいます。
そして、昨日、名古屋大学で開かれた日本人間性心理学会理事会に出席し、伊藤理事長より表彰していただきました。昨年の第33回大会の盛会と大会会計より寄付をしたことへの御礼でした。こちらは思いがけないプレゼントで、うれしい思いを致しました。

ということで、昨日は、とても心熱く、津村の現職最期を飾る素敵な一日であったことをご報告しておきます。
南山大学教員としての最後の卒業式でもありました。
相変わらず、ファシリテーション研究ゼミのメンバーは、卒業する10名の4年生を、しっかりと3年生と2年生の後輩たちが取り囲み、共に作って文集のプレゼントなどあたたかな卒業後のセレモニーがありました。私の最後の年、最高の学生たちに囲まれての退職になりました。


夕刻には、大学院人間文化研究科教育ファシリテーション専攻の修了生が9名、こちらもすでに終了している学生も遠くから集まり、現役のM1を中心に、素敵なお疲れ様会になりました。こうしたつながりが生まれていることに感謝です。
私も、退職までいよいよ10日を切ろうとしています。淡々と時を過ごしています。
人文学部心理人間学科へのプレゼントとして、「プロセスに学び プロセスに生きる」私の自らのメッセージを家内に書いてもらい、額装して、学科長に手渡しました。

「プロセス」を「変化」と読み替えて頂いてもいいかもしれません。
ラボラトリー方式の体験学習を長年やってきた私なりのメッセージです。
学科の合研の会議室に飾っていただけるとのこと、家内ともども喜んでいます。
そして、昨日、名古屋大学で開かれた日本人間性心理学会理事会に出席し、伊藤理事長より表彰していただきました。昨年の第33回大会の盛会と大会会計より寄付をしたことへの御礼でした。こちらは思いがけないプレゼントで、うれしい思いを致しました。

ということで、昨日は、とても心熱く、津村の現職最期を飾る素敵な一日であったことをご報告しておきます。
2015年03月08日
あっという間に3月も半ばですね!! 今宵は、学部生が企画してくれるパーティです!!!
先日、書き込んだのが2月12日でした。今日は、3月8日(日)です。本当に早いものです。
この間、いろいろなことがありました。
大きくは、大学の入試があり、それから、もっと大きな仕事は、研究室の片付けです。これがなかなかはかどりません。というか、荷物が多すぎて、片付けても片付けても、山ほどある書類など、溶解ボックスと保存用のボックスと分けるために、立ち止まり立ち止まり、やってきています。
いよいよ日にちが迫り、3月23日(月)までには、研究室を空っぽにしますと言ったものの、12日(木)から清里清泉寮にて人間関係研究センター主催のTグループがあり、18日まで、そしてその足で、18日から20日まで、小淵沢でお別れ会を兼ねた教員合宿を予定してくださっています。名古屋に帰ってきた翌日21日は、卒業式と教育ファシリのお疲れ様会、翌日22日は心理人間学科の卒業記念パーティと、行事も目白押し。
となると、片付け作業は11日までに何とかしなくてはならず、ボール箱に何も考えず、放り込んでHCCに運び込む作業の繰り返しです。もう少し、落ち着いてゆっくりと仕舞い支度ができるかと思っていましたが、そうもいきません。
一方で、4月1日からスタートする(予定の)一般社団法人日本体験学習研究会の立ち上げ作業をしなければならず、こちらも慌ただしく過ごしています。なんとか、公証役場で、公証人の指導のもと「一般社団法人日本体験学習研究所」の定款が認められました。いよいよ、4月1日までに準備をして、法務局の手続き承認を待つばかりです。といっても、こちらも、書類をもらってきてその準備をしなければなりません。
数え出すと、ため息が出そうなぐらいの状況ですが、・・・。
本日は、学部ゼミ生の企画で「つんつんありがというパーティ!!」を開催してくれるそうです。ありがたいこどえす。感謝の気持ちはこちらが伝えなくてはなりません。
終わりの時間の近づきと、始まりの時間の近づきのはざまの中で、心落ち着かないのですが、今宵は楽しんできます。
この間、いろいろなことがありました。
大きくは、大学の入試があり、それから、もっと大きな仕事は、研究室の片付けです。これがなかなかはかどりません。というか、荷物が多すぎて、片付けても片付けても、山ほどある書類など、溶解ボックスと保存用のボックスと分けるために、立ち止まり立ち止まり、やってきています。
いよいよ日にちが迫り、3月23日(月)までには、研究室を空っぽにしますと言ったものの、12日(木)から清里清泉寮にて人間関係研究センター主催のTグループがあり、18日まで、そしてその足で、18日から20日まで、小淵沢でお別れ会を兼ねた教員合宿を予定してくださっています。名古屋に帰ってきた翌日21日は、卒業式と教育ファシリのお疲れ様会、翌日22日は心理人間学科の卒業記念パーティと、行事も目白押し。
となると、片付け作業は11日までに何とかしなくてはならず、ボール箱に何も考えず、放り込んでHCCに運び込む作業の繰り返しです。もう少し、落ち着いてゆっくりと仕舞い支度ができるかと思っていましたが、そうもいきません。
一方で、4月1日からスタートする(予定の)一般社団法人日本体験学習研究会の立ち上げ作業をしなければならず、こちらも慌ただしく過ごしています。なんとか、公証役場で、公証人の指導のもと「一般社団法人日本体験学習研究所」の定款が認められました。いよいよ、4月1日までに準備をして、法務局の手続き承認を待つばかりです。といっても、こちらも、書類をもらってきてその準備をしなければなりません。
数え出すと、ため息が出そうなぐらいの状況ですが、・・・。
本日は、学部ゼミ生の企画で「つんつんありがというパーティ!!」を開催してくれるそうです。ありがたいこどえす。感謝の気持ちはこちらが伝えなくてはなりません。
終わりの時間の近づきと、始まりの時間の近づきのはざまの中で、心落ち着かないのですが、今宵は楽しんできます。
2015年02月12日
カウンセリングからファシリテーションへ(2012年9月の記事ですが・・・)
本記事は、2002年9月12日に、南山大学のHPにブログ風記事として書いたものです。
10年以上、経ったけど何が変わったのでしょうか?大学のHPの整理に伴い、再掲させていただきます。
==========
景気の低迷下,企業では,リストラ,ダウンサイジングと効率化を求めたマネジメントが行われています。人的資源の流動化といえば聞こえがいいのですが,リストラと中途採用者の活用で,従業員同士がお互いにいたわり合いケアし合うといった関係は希薄になってきています。その中で,IT化,国際化の波が押し寄せ,職場のストレッサーは急増しています。その一つの現れとして,心理的に不安定になり,鬱病が増えているとも言われています。そうした人々(従業員)を回復するために何らかの治療的な行為が必要になり,カウンセラーをおく企業もあるようです。確かに,精神的な問題を抱える人々への治療的・医療的処置は大切であることは言うまでもありません。
このことは,学校教育の現場の中にあっても同じようなことが起こっているように思います。学校現場でいろいろな問題が発生し,問題の子どもたちに対してカウンセリングの必要性が叫ばれ,スクールカウンセラーの配置が実施されはじめてます。その治療に誰があたるのかの適否については,ここでは議論を差し控えておきます。ただ,こうした状況がこのままでよいかと言えば,多くの皆さんは「NO」でしょう。
種々の企業体の中にあって先見の明があるところでは,このままでは「お互いをケアし合う,育て合う,もしくは支え合う,いわゆる信頼し合える企業風土が壊れても生まれてこない」と考え始めています。そうした企業では,たとえば《メンタリング》の制度を導入しようとして,人材開発にコストをかけ始めています。《メンタリング》とは,「成熟した年長者(メンター)が,若年者や未熟練者(メンティ,プロテジェ)と,基本的に1対1で,継続的,定期的に交流し,信頼関係の構築を通じて,メンティのキャリア発達を支援すると共に,心理・社会的な成長を支援する」仕組みをさしています。
いわば,メンティの成長のために,専門性(課題指向)の成熟と心理的安定(人間指向)を促すことがどれほどできるかが大きなメンターの役割になるわけです。まさに,メンティの成長を支えるファシリテーターになり,メンティの成長のためにいかにファシリテーション(援助促進)ができるようになるかが重要になるわけです。そして,その関係は互いに影響しあい,メンティによってメンターも成長することになるのです。
今だからこそ,治療から教育へもっともっと私たちは目を向け,関心をもち,そしてそのことができる人材を創り出していかなければならないと感じています。学校教育の中にあっては,スクールカウンセリングにおける予防的・開発的側面を強調する教育活動の必要性も強調され始めています。これからの社会にあって,治療者−被治療者という関係ではなく,学習者を支援しながら相互に学び合う対等な関係づくりができる人材(ファシリテーター)の養成が必要になってきていると言えるでしょう。1対1の関係の中だけではなく,学習者一人のための心理的サポートもしながら,組織全体を観ることができ,その状況にふさわしい問題解決行動ができるといった,総合的な学習者支援機能を果たすことができる人材と,さらにはその人材育成ができる人材が,これからの社会では求められていくと考えています。
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10年以上、経ったけど何が変わったのでしょうか?大学のHPの整理に伴い、再掲させていただきます。
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景気の低迷下,企業では,リストラ,ダウンサイジングと効率化を求めたマネジメントが行われています。人的資源の流動化といえば聞こえがいいのですが,リストラと中途採用者の活用で,従業員同士がお互いにいたわり合いケアし合うといった関係は希薄になってきています。その中で,IT化,国際化の波が押し寄せ,職場のストレッサーは急増しています。その一つの現れとして,心理的に不安定になり,鬱病が増えているとも言われています。そうした人々(従業員)を回復するために何らかの治療的な行為が必要になり,カウンセラーをおく企業もあるようです。確かに,精神的な問題を抱える人々への治療的・医療的処置は大切であることは言うまでもありません。
このことは,学校教育の現場の中にあっても同じようなことが起こっているように思います。学校現場でいろいろな問題が発生し,問題の子どもたちに対してカウンセリングの必要性が叫ばれ,スクールカウンセラーの配置が実施されはじめてます。その治療に誰があたるのかの適否については,ここでは議論を差し控えておきます。ただ,こうした状況がこのままでよいかと言えば,多くの皆さんは「NO」でしょう。
種々の企業体の中にあって先見の明があるところでは,このままでは「お互いをケアし合う,育て合う,もしくは支え合う,いわゆる信頼し合える企業風土が壊れても生まれてこない」と考え始めています。そうした企業では,たとえば《メンタリング》の制度を導入しようとして,人材開発にコストをかけ始めています。《メンタリング》とは,「成熟した年長者(メンター)が,若年者や未熟練者(メンティ,プロテジェ)と,基本的に1対1で,継続的,定期的に交流し,信頼関係の構築を通じて,メンティのキャリア発達を支援すると共に,心理・社会的な成長を支援する」仕組みをさしています。
いわば,メンティの成長のために,専門性(課題指向)の成熟と心理的安定(人間指向)を促すことがどれほどできるかが大きなメンターの役割になるわけです。まさに,メンティの成長を支えるファシリテーターになり,メンティの成長のためにいかにファシリテーション(援助促進)ができるようになるかが重要になるわけです。そして,その関係は互いに影響しあい,メンティによってメンターも成長することになるのです。
今だからこそ,治療から教育へもっともっと私たちは目を向け,関心をもち,そしてそのことができる人材を創り出していかなければならないと感じています。学校教育の中にあっては,スクールカウンセリングにおける予防的・開発的側面を強調する教育活動の必要性も強調され始めています。これからの社会にあって,治療者−被治療者という関係ではなく,学習者を支援しながら相互に学び合う対等な関係づくりができる人材(ファシリテーター)の養成が必要になってきていると言えるでしょう。1対1の関係の中だけではなく,学習者一人のための心理的サポートもしながら,組織全体を観ることができ,その状況にふさわしい問題解決行動ができるといった,総合的な学習者支援機能を果たすことができる人材と,さらにはその人材育成ができる人材が,これからの社会では求められていくと考えています。
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2015年02月10日
国際協力セミナー参加から学ぶ:ファシリテーターの介入の心得
もう14〜15年近く経つでしょうか?南山短期大学から南山大学に移籍して、新しく人間関係研究センターを設立した際に、「国際協力セミナー」と題して、センター主催のワークショップを実施しました。
この記事のはじめに、アメリカに留学してから15年と書かれていますので、私がアメリカに留学してほぼ30年が経とうとしています。
15年近く前のワークショップの記事ですが、だいぶ国際協力の舞台は変化してきているのでしょうか?少し、長い記事になっていますが、掲載させていただきます。
====================
6月3日(土)4日(日)の二日間にわたって、南山大学人間関係研究センター主催で行われた『国際協力セミナー』に一参加者として参加しました(参加者は、20名ほど)。講師は、筑波大学の平山恵先生。平山先生といっても、津村は、15年前に自分がアメリカに留学中に知り合った仲間なので、私からは「めぐみちゃん」、平山先生からは「としさん」と愛称で呼んでいる関係なので、私のセミナー参加がめぐみちゃんにやりやすかたったのか、やりにくかったのかは彼女に聞いてみないとわかりません。だけど、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、などなど様々な国で活躍している彼女には、誰が参加していようと、その場の人たちとともに過ごすことは、一流です。以下は、津村がめぐみちゃんの話を聞いて、まとめたものであり、文責はすべて津村にあります。(なぜなら、平山先生の意図通りに津村が聞いていないかもしれないので、そのように付け加えておきます。)
セミナー参加の前に、『近代化の理論』(富永健一著、1999、講談社学術文庫)を読み、「発展途上国への援助とは発展途上国の近代化を助けることなのか?」について1000字程度(A41枚程度)で書いてきていただきたいと宿題が出されました。その本は、文庫本とは言え、500頁にわたる大作です。そして、内容が近代化とは、産業化とは、社会構造とは何か、社会変動とはなどなど、久しぶりに自分の頭が煮えくりかえるほど、刺激を受けました。
初日は、集まってきた20名ほどが、2グループに分けられ、グループを作り、2日間のプログラムを過ごすことになる。そのプログラムの最初に、持ってきた宿題を提示しながら、「自分が呼んでもらいたい名前」「セミナー参加への期待」「援助が近代化を助けるか?」のキーワードを用いて自己紹介をしていった。その後、恵ちゃん自身の自己紹介と、国際協力、今回は、意図して使っている「援助」についての小講義が行われました。
(1)援助形態の3つの種類
・ODA:政府開発援助:公的援助、二国間援助の功罪(一つの価値観)
・国際機関による援助:WHO、ユニセフ、ユニスコなど:多国間援助の功罪(多様な価値観)
・NGO:二国間でできない援助ができる(日本の例として、ボランティア貯金のサポートの功罪→単年度主義)
(2)援助の歴史
・60-70年:西欧は、社会インフラ−衛生−水道、井戸、学校、病院建設
・80年代:BHN(Basic Human Needs)病院までの{アクセス}、{コントロール(誰が決定することができるかなどの問題に関わる)たとえば、水くみは女性、その水をどのように利用するか決めるのは男性}
・90年代:HDI(Human Development Index):人間の開発をしないといけない:生きててよかったと思えるところまで:教育を受ける機会、延命を選択するしない、ジェンダーの問題、→最終的に何が残る?(津村):その人が選択したものがよい、残る価値はないかもしれない:でも、(最終的には)Autonomy:自分が自分の生き方を決めることができるということか?!
(3)援助のはじまり
・日本は、賠償問題から始まる
・欧米では、いわゆる、票集め。東西対立からスタート→自由主義社会VS社会主義社会→南北問題になる
・NGOは、布教から始まる
(4)援助、協力の後の姿を見ると、これでよいのか?の疑問がわく。
・カンボジア:国連アンタックの介入:内戦→西欧化
・ニカラグア:人を殺してモノを盗るようになる:お金を持ちたい:貨幣経済の導入
・イエメン(?):夜もキラキラと光る夜景
(5)イエメンにおける援助活動を例にして問題提議
・モノがとれない、とるモノがないから、援助が入らない国だったが、→OECD(Organization for Eco-cooperation Develoment)による、・小国に対する援助促進、・内戦が終わった国への援助促進、よりルワンダ、カンボジア、イエメンなどへの援助が行われるようになる。:多くの場合、東西の西が負けて東が援助:自由化しましょうと言うことから。
・イエメンでは、出産は、膝つき産であった。ところが、2000年までに4000人の助産婦を作ろうという計画の元で、日本(初期は結核だけに援助)、ドイツ、オランダ、アメリカのODA、そして国際機関と、さらにはNGOも協力して援助することになる。目的は、イエメンの1400/10万ほど(ちなみに、日本で6、7人/10万、スウェーデンで2、3人/10万、アメリカで4人/10万)のMMR(出産時の、新生児や母親の死亡率)を下げるために。仮説としては、介助している人が非衛生的で、伝統的産婆が問題であると言うことから。
・イエメンの女性にとっては、膝つき産が楽な姿勢での出産形態であるにも関わらず、西洋の医学、近代医学が科学的であるということから、ベッドの上に仰向けに寝て出産する産婆方式を導入することになる(オランダの人類学者いて、イエメンの女性たちにインタビューしているにも関わらず)。近代化、科学的な方法であるという思いこみがそうさせてしまっている。そして、デリバリーベッド(折り畳みの動くベッド)がどんどん運び込まれる。これは、とても大きな介入である。そして、さらには、包帯&注射器&はさみなどが入った治療セットが配られることになるが、注射器の針など今後ずっと交換が不可欠(エイズなどの問題を考えた場合)なものの導入が適切な導入といえるのだろうか、大きな問題である。
そして、昼食。昼食中には{伝統}の反対語をさがせという宿題をもらい、昼食中も、津村と何人かの参加者とはしりとり遊びを楽しむように、「伝統の反対といえば?」「新作」「新作といえば」「レンタル」「レンタルといえば」「借り物」「借り物といえば」「そのとき限り」「そのとき限りといえば」「短い」などと、{伝統}の反対語探しも楽しいモノとなった。
昼食のプログラムは、反対語を紹介しあってスタート。続いて、FASID(財 国際開発高等教育機構)が提供してくれた教材「裏庭養豚プロジェクトの改善」のプリントとVTRを見て、各グループごとにPCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)手法の簡易スタイルで、国際協力プロジェクトの見直しと討議を行った。これも、また津村には、興味深いものであった。
【1】参加者分析(関係者分析)
ケースのプリントとVTRを参考にしながら、関係している人や組織をすべて列挙する。そして、その特徴は何か、利害・関心は何かを丁寧に記述しながら、グループでリストアップする。その作業を通して、社会を知っていくのである。その話し合いの過程でメンバーから疑問点などが出てきた際には、「info」マークを付与しておき、現地調査でその事実をしっかりインタビューする。
最近の社会を知る視点として、RONと言う言葉が使われる。
R(esource):資源、人・モノ・金=Tangible Resourceだが、Intangible Resourceもある。
O(rganization):組織
N(orms):Social Norm(社会規範)、価値観
【2】問題分析
このステップでは、原因結果をツリー上にぶら下げながら、それらの因果関係を明確にしていこうという作業である。初日は、この問題分析の道半ばで、午後5時を過ぎ、解散となった。
第2日目(6/4、日曜日)は、昨日の援助は近代化を助けるかのキーワードの2つ目を考えるように、めぐみちゃんから指示を受け、それぞれそのキーワードを説明することで、昨日のふりかえりと今朝の挨拶を行う。
津村は、昨日は、「均衡の攪乱」と言っていた。これは、富永氏の著作「近代化の理論」の中での社会変動が起こっていくプロセスが、まさに個人やグループの成長のプロセスでクルトレビンが提唱する「unfreezig-moving-freezing」のプロセスとあまりにも酷似した展開理論枠であり、そのunfreezingを引き起こさせることを「均衡の攪乱」とよび、それをいかに内発的なエネルギーとして起こさせる(させるという表記自体が外発的なんだけど)ことができるか、まさに、介入のありよう、ファシリテーターのありように関わるキーワードなので取り上げた。そして、2回目のキーワードとしては、養豚のケースを巡る討論をしながら、これが適切適切でないとか、これが良い悪いということを、介入前にはすべてはできないわけで、やりながら改善していく、改良していくプロセスが大切という意味で、「試行錯誤:プロセス:絶えまぬ努力」というキーワードを書き記した。{「人間関係トレーニングにおける個と集団の変容モデル」のミニレクチャーを読んでください。}
【3】目的分析
問題分析の系図をもとに、そのカード一枚一枚を「望ましい状態」に書き直して、「手段−目的」の関係を明確にする作業を行った。この作業を通して、前段での問題分析が適切に行われていたかの吟味にもなるし、次につながるプロジェクトの選択作業への大きな橋渡しになるのであろう。
【4】プロジェクトの選択
このステップでは、もう今回のセミナーの時間はそんなに残っていなかった。それでも、いくつか考えられる、プロジェクトを考え、それらを実際に実施するとしたら、どのような結果を引き起こすか、様々な選択基準をリストアップし、プロジェクト実施に関わる問題点等を引き出していった。
すべての参加者のみなさんは、本当に熱心に参加され、熱い討論が実施されたみたいである。若干、津村は、ここまで来ると、エネルギーは落ちてしまい、ぐったりお疲れモードになってしまった。
そして、最後に、「よそ者の役割とは」何かを、一人ひとりカードに書き出した後、一緒に作業したメンバーと分かち合い、そして、全体グループで、シェアーして、国際協力セミナーの研修は終了した。
この「よそ者の役割とは」を考える作業は、まさにファシリテーターのありようを探る、とても大きな一助になった。
国際協力セミナーから学ぶファシリテーターの介入の心得
(1) 今の国の状況、グループの状況のデータをしっかり得ること:観察する、調査する
(2) 内側の力では、動き出せないときの大きな力になること:石を投げる、波風を立てる
(3) グループで、話し合っているときに、ちょっと介入してほしいときがある
・これでよいのかどうか、不安になっているとき
・話し合いが停滞しているとき
・サブグループに分かれて話し合っているときに、ジョイントしにくくなっているとき
(4) ファシリテーターの介入のタイミング:早いとファシリテーターへの依存が強まるし、あまり遅くなるとグループでことが進んでしまっていて修正ができなくなる。
(5) データの記述・表現仕方は、できる限り具体的な表現にすること
(6) やっぱり、コンテント(参加者分析、関係者分析、問題分析、目的分析など話し合っている内容に関わること)とプロセス(その話し合いがグループの中で、どのように話し合われているかに関わること)の2点の視点は絶えずもっていること。
この記事のはじめに、アメリカに留学してから15年と書かれていますので、私がアメリカに留学してほぼ30年が経とうとしています。
15年近く前のワークショップの記事ですが、だいぶ国際協力の舞台は変化してきているのでしょうか?少し、長い記事になっていますが、掲載させていただきます。
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6月3日(土)4日(日)の二日間にわたって、南山大学人間関係研究センター主催で行われた『国際協力セミナー』に一参加者として参加しました(参加者は、20名ほど)。講師は、筑波大学の平山恵先生。平山先生といっても、津村は、15年前に自分がアメリカに留学中に知り合った仲間なので、私からは「めぐみちゃん」、平山先生からは「としさん」と愛称で呼んでいる関係なので、私のセミナー参加がめぐみちゃんにやりやすかたったのか、やりにくかったのかは彼女に聞いてみないとわかりません。だけど、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、などなど様々な国で活躍している彼女には、誰が参加していようと、その場の人たちとともに過ごすことは、一流です。以下は、津村がめぐみちゃんの話を聞いて、まとめたものであり、文責はすべて津村にあります。(なぜなら、平山先生の意図通りに津村が聞いていないかもしれないので、そのように付け加えておきます。)
セミナー参加の前に、『近代化の理論』(富永健一著、1999、講談社学術文庫)を読み、「発展途上国への援助とは発展途上国の近代化を助けることなのか?」について1000字程度(A41枚程度)で書いてきていただきたいと宿題が出されました。その本は、文庫本とは言え、500頁にわたる大作です。そして、内容が近代化とは、産業化とは、社会構造とは何か、社会変動とはなどなど、久しぶりに自分の頭が煮えくりかえるほど、刺激を受けました。
初日は、集まってきた20名ほどが、2グループに分けられ、グループを作り、2日間のプログラムを過ごすことになる。そのプログラムの最初に、持ってきた宿題を提示しながら、「自分が呼んでもらいたい名前」「セミナー参加への期待」「援助が近代化を助けるか?」のキーワードを用いて自己紹介をしていった。その後、恵ちゃん自身の自己紹介と、国際協力、今回は、意図して使っている「援助」についての小講義が行われました。
(1)援助形態の3つの種類
・ODA:政府開発援助:公的援助、二国間援助の功罪(一つの価値観)
・国際機関による援助:WHO、ユニセフ、ユニスコなど:多国間援助の功罪(多様な価値観)
・NGO:二国間でできない援助ができる(日本の例として、ボランティア貯金のサポートの功罪→単年度主義)
(2)援助の歴史
・60-70年:西欧は、社会インフラ−衛生−水道、井戸、学校、病院建設
・80年代:BHN(Basic Human Needs)病院までの{アクセス}、{コントロール(誰が決定することができるかなどの問題に関わる)たとえば、水くみは女性、その水をどのように利用するか決めるのは男性}
・90年代:HDI(Human Development Index):人間の開発をしないといけない:生きててよかったと思えるところまで:教育を受ける機会、延命を選択するしない、ジェンダーの問題、→最終的に何が残る?(津村):その人が選択したものがよい、残る価値はないかもしれない:でも、(最終的には)Autonomy:自分が自分の生き方を決めることができるということか?!
(3)援助のはじまり
・日本は、賠償問題から始まる
・欧米では、いわゆる、票集め。東西対立からスタート→自由主義社会VS社会主義社会→南北問題になる
・NGOは、布教から始まる
(4)援助、協力の後の姿を見ると、これでよいのか?の疑問がわく。
・カンボジア:国連アンタックの介入:内戦→西欧化
・ニカラグア:人を殺してモノを盗るようになる:お金を持ちたい:貨幣経済の導入
・イエメン(?):夜もキラキラと光る夜景
(5)イエメンにおける援助活動を例にして問題提議
・モノがとれない、とるモノがないから、援助が入らない国だったが、→OECD(Organization for Eco-cooperation Develoment)による、・小国に対する援助促進、・内戦が終わった国への援助促進、よりルワンダ、カンボジア、イエメンなどへの援助が行われるようになる。:多くの場合、東西の西が負けて東が援助:自由化しましょうと言うことから。
・イエメンでは、出産は、膝つき産であった。ところが、2000年までに4000人の助産婦を作ろうという計画の元で、日本(初期は結核だけに援助)、ドイツ、オランダ、アメリカのODA、そして国際機関と、さらにはNGOも協力して援助することになる。目的は、イエメンの1400/10万ほど(ちなみに、日本で6、7人/10万、スウェーデンで2、3人/10万、アメリカで4人/10万)のMMR(出産時の、新生児や母親の死亡率)を下げるために。仮説としては、介助している人が非衛生的で、伝統的産婆が問題であると言うことから。
・イエメンの女性にとっては、膝つき産が楽な姿勢での出産形態であるにも関わらず、西洋の医学、近代医学が科学的であるということから、ベッドの上に仰向けに寝て出産する産婆方式を導入することになる(オランダの人類学者いて、イエメンの女性たちにインタビューしているにも関わらず)。近代化、科学的な方法であるという思いこみがそうさせてしまっている。そして、デリバリーベッド(折り畳みの動くベッド)がどんどん運び込まれる。これは、とても大きな介入である。そして、さらには、包帯&注射器&はさみなどが入った治療セットが配られることになるが、注射器の針など今後ずっと交換が不可欠(エイズなどの問題を考えた場合)なものの導入が適切な導入といえるのだろうか、大きな問題である。
そして、昼食。昼食中には{伝統}の反対語をさがせという宿題をもらい、昼食中も、津村と何人かの参加者とはしりとり遊びを楽しむように、「伝統の反対といえば?」「新作」「新作といえば」「レンタル」「レンタルといえば」「借り物」「借り物といえば」「そのとき限り」「そのとき限りといえば」「短い」などと、{伝統}の反対語探しも楽しいモノとなった。
昼食のプログラムは、反対語を紹介しあってスタート。続いて、FASID(財 国際開発高等教育機構)が提供してくれた教材「裏庭養豚プロジェクトの改善」のプリントとVTRを見て、各グループごとにPCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)手法の簡易スタイルで、国際協力プロジェクトの見直しと討議を行った。これも、また津村には、興味深いものであった。
【1】参加者分析(関係者分析)
ケースのプリントとVTRを参考にしながら、関係している人や組織をすべて列挙する。そして、その特徴は何か、利害・関心は何かを丁寧に記述しながら、グループでリストアップする。その作業を通して、社会を知っていくのである。その話し合いの過程でメンバーから疑問点などが出てきた際には、「info」マークを付与しておき、現地調査でその事実をしっかりインタビューする。
最近の社会を知る視点として、RONと言う言葉が使われる。
R(esource):資源、人・モノ・金=Tangible Resourceだが、Intangible Resourceもある。
O(rganization):組織
N(orms):Social Norm(社会規範)、価値観
【2】問題分析
このステップでは、原因結果をツリー上にぶら下げながら、それらの因果関係を明確にしていこうという作業である。初日は、この問題分析の道半ばで、午後5時を過ぎ、解散となった。
第2日目(6/4、日曜日)は、昨日の援助は近代化を助けるかのキーワードの2つ目を考えるように、めぐみちゃんから指示を受け、それぞれそのキーワードを説明することで、昨日のふりかえりと今朝の挨拶を行う。
津村は、昨日は、「均衡の攪乱」と言っていた。これは、富永氏の著作「近代化の理論」の中での社会変動が起こっていくプロセスが、まさに個人やグループの成長のプロセスでクルトレビンが提唱する「unfreezig-moving-freezing」のプロセスとあまりにも酷似した展開理論枠であり、そのunfreezingを引き起こさせることを「均衡の攪乱」とよび、それをいかに内発的なエネルギーとして起こさせる(させるという表記自体が外発的なんだけど)ことができるか、まさに、介入のありよう、ファシリテーターのありように関わるキーワードなので取り上げた。そして、2回目のキーワードとしては、養豚のケースを巡る討論をしながら、これが適切適切でないとか、これが良い悪いということを、介入前にはすべてはできないわけで、やりながら改善していく、改良していくプロセスが大切という意味で、「試行錯誤:プロセス:絶えまぬ努力」というキーワードを書き記した。{「人間関係トレーニングにおける個と集団の変容モデル」のミニレクチャーを読んでください。}
【3】目的分析
問題分析の系図をもとに、そのカード一枚一枚を「望ましい状態」に書き直して、「手段−目的」の関係を明確にする作業を行った。この作業を通して、前段での問題分析が適切に行われていたかの吟味にもなるし、次につながるプロジェクトの選択作業への大きな橋渡しになるのであろう。
【4】プロジェクトの選択
このステップでは、もう今回のセミナーの時間はそんなに残っていなかった。それでも、いくつか考えられる、プロジェクトを考え、それらを実際に実施するとしたら、どのような結果を引き起こすか、様々な選択基準をリストアップし、プロジェクト実施に関わる問題点等を引き出していった。
すべての参加者のみなさんは、本当に熱心に参加され、熱い討論が実施されたみたいである。若干、津村は、ここまで来ると、エネルギーは落ちてしまい、ぐったりお疲れモードになってしまった。
そして、最後に、「よそ者の役割とは」何かを、一人ひとりカードに書き出した後、一緒に作業したメンバーと分かち合い、そして、全体グループで、シェアーして、国際協力セミナーの研修は終了した。
この「よそ者の役割とは」を考える作業は、まさにファシリテーターのありようを探る、とても大きな一助になった。
国際協力セミナーから学ぶファシリテーターの介入の心得
(1) 今の国の状況、グループの状況のデータをしっかり得ること:観察する、調査する
(2) 内側の力では、動き出せないときの大きな力になること:石を投げる、波風を立てる
(3) グループで、話し合っているときに、ちょっと介入してほしいときがある
・これでよいのかどうか、不安になっているとき
・話し合いが停滞しているとき
・サブグループに分かれて話し合っているときに、ジョイントしにくくなっているとき
(4) ファシリテーターの介入のタイミング:早いとファシリテーターへの依存が強まるし、あまり遅くなるとグループでことが進んでしまっていて修正ができなくなる。
(5) データの記述・表現仕方は、できる限り具体的な表現にすること
(6) やっぱり、コンテント(参加者分析、関係者分析、問題分析、目的分析など話し合っている内容に関わること)とプロセス(その話し合いがグループの中で、どのように話し合われているかに関わること)の2点の視点は絶えずもっていること。
2015年02月08日
「家庭菜園から学ぶ」ファシリテーターの介入の心得
この記事を書いて10年ほど経ってしましました。大学のHPに掲載していた「ファシリテーター雑感」からの転載です。
===========
私が日進市に移り住んでからもう15年以上が経とうとしています。そして、ここ10年ほど、日進市から近くの「ふれあい農園」を2区画(10坪ぐらい)を借りて、夏野菜づくりゃサツマイモづくり、また冬は豆類を植えて楽しんでいます。楽しんでいると言っても、そんなに手入れが几帳面にできずに、1年を過ごしてしまっていると言った方が正しいでしょう。
それでも、ここ数年は着実に夏野菜として、キュウリ、トマト、ピーマン、なすなどをコンスタントに収穫し、大した形と量じゃないですが、近所の方にも自慢げにお裾分けをしています。また、秋になると、学生達をふれあい農園に招待し、恒例大(?)芋掘り大会&バーベキュー大会を楽しむのが行事になっています。そして、余力があれば、冬にかけて豆類を植えて春の収穫を楽しんでいます。
そうした家庭菜園をしている時にも、これはまさに育てる体験ですから、教育体験そのものですが、ファシリテーターのありようを考えています。
家庭菜園から学ぶファシリテーターの介入の心得
一.土地を耕すことが一番大切:時間をかけて、丁寧にしっかりと
・空気をしっかりまぜてやる
・根の育ちをよくするために、大きな石ころなどはちゃんと取り除くこと
・雑草の根っこなどが残っているとすぐに茂ってくるのでちゃんと取り除くこと
二.苗を植えるときには、深すぎ、浅すぎず
三.苗と苗との感覚はしっかりとあけること:大きくなったときのことを考えておくこと
四.肥料は、根に近づきすぎると効きそうで、実は苗をダメにする:ほどほどの距離を!
五.苗を植えて、最初の時期の手入れが大切:
・しっかりと根がはるまで、茎がしっかりするまでこまめに水をやり世話をすること
・支柱を早めに立てること:
→ツルが成長し始め、横や下に伸び出すとなかなか修正することは難しい
六.実がなり出すと、程良いところで実を取り、収穫・成長したことを祝うこと
七.伸びて行きすぎるツルや先を程良いところで止めること:
→実がしっかりと成長することになる
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私が日進市に移り住んでからもう15年以上が経とうとしています。そして、ここ10年ほど、日進市から近くの「ふれあい農園」を2区画(10坪ぐらい)を借りて、夏野菜づくりゃサツマイモづくり、また冬は豆類を植えて楽しんでいます。楽しんでいると言っても、そんなに手入れが几帳面にできずに、1年を過ごしてしまっていると言った方が正しいでしょう。
それでも、ここ数年は着実に夏野菜として、キュウリ、トマト、ピーマン、なすなどをコンスタントに収穫し、大した形と量じゃないですが、近所の方にも自慢げにお裾分けをしています。また、秋になると、学生達をふれあい農園に招待し、恒例大(?)芋掘り大会&バーベキュー大会を楽しむのが行事になっています。そして、余力があれば、冬にかけて豆類を植えて春の収穫を楽しんでいます。
そうした家庭菜園をしている時にも、これはまさに育てる体験ですから、教育体験そのものですが、ファシリテーターのありようを考えています。
家庭菜園から学ぶファシリテーターの介入の心得
一.土地を耕すことが一番大切:時間をかけて、丁寧にしっかりと
・空気をしっかりまぜてやる
・根の育ちをよくするために、大きな石ころなどはちゃんと取り除くこと
・雑草の根っこなどが残っているとすぐに茂ってくるのでちゃんと取り除くこと
二.苗を植えるときには、深すぎ、浅すぎず
三.苗と苗との感覚はしっかりとあけること:大きくなったときのことを考えておくこと
四.肥料は、根に近づきすぎると効きそうで、実は苗をダメにする:ほどほどの距離を!
五.苗を植えて、最初の時期の手入れが大切:
・しっかりと根がはるまで、茎がしっかりするまでこまめに水をやり世話をすること
・支柱を早めに立てること:
→ツルが成長し始め、横や下に伸び出すとなかなか修正することは難しい
六.実がなり出すと、程良いところで実を取り、収穫・成長したことを祝うこと
七.伸びて行きすぎるツルや先を程良いところで止めること:
→実がしっかりと成長することになる