2014年09月03日

易経に学ぶファシリテーション(20)

■ファシリテーターとしての第六段階「亢龍(こうりゅう)」

 「亢龍(こうりゅう)」とは、たかぶって、亢(あらがう)龍のことだそうです。どんなに亢(あらが)っても、天から落ちていく運命になるのだそうです。

 「亢龍(こうりゅう)悔いあり」抗龍には後悔があるだろうと。

 「亢龍(こうりゅう)」が亢(あらがう)のは、「飛龍(ひりゅう)」ステージに上ると、失うこと、退くことが嫌なのです。一度、「亢龍(こうりゅう)」になると、たとえ退いたとしても、もう「飛龍」に戻れないのだそうです。いずれ後悔するために「悔いあり」と書かれているようです。

 このことは、陽の状態では、前に前に進み、マイナス思考を嫌い、プラス思考で進み、進むことばかりでとどまることを知らないからです。結果として、雲を突き抜け、龍は肝心な雨を降らす働きができなくなってしまうのです。志を忘れた亢龍はもう龍ではありませんと書かれています。亢龍はもう地に降りるしかないのです。

 降りるために、二つの方法があると書かれています。一つは、失墜するのか自ら降りるのかだそうです。どちらが当人にとって余裕をもった降り方ができるかは、後者です。それが、この亢龍の時代には大切な仕事になるのです。降りていくタイミングをつかむためのサインは、放たれているとも言われます。そのサインを見落とすことなく、亢龍となって、降りていくことを意識することも大切なのだろうと思います。

 あっこちゃんは、「亢龍が地位にしがみつかず、時をわきまえて自らリーダーを退いたならば、その才を役立てていくことができます。」と書いてくれています。

 今の私の心境はこれに近いのかもしれません。今、大学の現役を降りる時、今の職にこだわらず、いちどゆっくりと「潜龍」の世界に潜り、もう一度、新しい人生を送る準備も必要かもしれないと考え始めています。

 私も次第に衰えは感じつつあります。そして、南山大学において教鞭をとることも、スポーツ的な体力勝負的な私の授業「ラボラトリー方式の体験学習を用いた実践」には、そろそろ体力的な限界も感じなくはありません。どのようにこのステージを過ごすのかが、大きな課題です。

 そんような状況で、退職を意識し始めたのは、ここ数年でしょうか。その中で、これまで学部教育の中で、ファシリテーションを直接扱う授業をあまり展開してきていないことに気づきました。そこで、学部の専門科目として、人間関係プロセス論では、サブタイトルに「ファシリーテーション・アプローチ」とつけて、2コマ15週の授業は徹底して、「ファシリテーター」「ファシリテーション」に商店をあてた授業を行っています。また、学部学生のために、「ファシリテーション研究ゼミ」を創設して、徹底して「ファシリテーション」の実践力を身につけるために、授業は学生主体で、また社会人の方々との交流も積極的にするように展開してきています。また、大学院生の方々、また大学院修了者のみなさんとも、交流をしながら新しい展開というか、ラボラトリー方式の体験学習の実践者の継承をどのようにするかが大きな課題として受け取っています。

 来年の春(2015年3月末)には、南山大学を退職することになります。ただ、それで池の淵に身をおろしてしまうのではなく、もう少しゆっくりと身をおろすことができればと考えています。その地としては、今は、日本体験学習研究所(JIEL:Japan Institute for Experiential Learning)を基地に、今の私にできることを少しずつでも実践と研究を進めながら羽を下ろそうと考えています。

 ただ、こうして自らのラボラトリー方式の体験学習のファシリテーター(教育者)としての学びの遍歴を考える機会が「易経」との出会いの中にあったことに感謝します。こうした「易経」と出会い、少しでも新しいことを吸収しようとしていること自身、自分で言うのもなんですが、一気にどん底に落ちてしまうのではなく、無事に着陸するためにも必要なことではないかと考えています。このことを気づかせてくれたのは、はやり「易経」でした。まだまだ「易経」理解の旅は続けたいと考えています。

 「易経から学ぶファシリテーション」シリーズは一度(20)で筆を置きます。いや、タイプを止めます。この6つのステージに関して、リーダーとして考えることや教えについて、さらなる詳細な知見は、「リーダーの易経『兆し』を察知する力をきたえる」竹村亞希子著(角川SSC新書)をぜひお読みください。しばらく、潜って学びを深めてみたいと思います。また、新たに、「易経から学ぶファシリテーション」が出た折にはよろしくお願いします。

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2014年08月25日

易経に学ぶファシリテーション(17)

■ファシリテーターとしての第三段階「乾タ(けんてき)」

 師からコピーをするように身につけた技に磨きをかけるのが、この「君子終日乾乾(くんししゅうじつけんけん」の段階だそうです。「君子終日乾乾」の「乾乾」は、積極的に前に進むという語が二つ重なっているのです。積極的に前に前に進み、できることを果敢に取り組みなさいという教えだそうです。朝から晩まで繰り返し邁進して努力をするステージです。

 しかし、いつもうまくいくとは限りません。一日の終わりに、今日の自分をふりかえり自分が行ったことを本当にこれでよかったのか、うまくいっても反省しながら自分自身を育てる時期でもあります。基本をマスターした龍は、繰り返し基本を実践しながら、自分の足りないものは何か、自分をよりよくするためには何ができるのかを探求する段階なのです。

 師から学んだ基礎をいかに応用の場の中で活用できるかを挑戦しながら、失敗をふりかえり、また成功であってもふりかえり、学び続ける姿勢が備わるかどうかが大きな課題ではないかと思います。それは、時には、自分一人ではふりかえれない時には、他者からのフィードバックも貴重なふりかえりのデータになるのだと思います。いかにふりかえりの視点を身につけるかもこの時期、大事なポイントのように思います。

 前回、学生からの私への「喝」と書いたのは、南山短大人間関係科のカリキュラムで、短期大学卒業間際に卒業合宿というのがありました。その企画の中で、学生投票による教員ワースト10を選ぶ企画があり、ワーストワンに津村が選ばれたのです。これは、正直ショッキングな出来事でした。いまから思えば、教員にとってみると、厳しくつらい企画ですよね。良い意味では、津村は、そんなふうに選んでも大丈夫な教員、そのようなネガティブなことも言える教員であったといえるのかもしれません。しかし、この強烈なフィードバックは、私の教育現場での自分の姿を考える良い機会になりました。なぜ、私がワーストワンなのか?学生に聴くと、「先生が何を考えているのかわからない!」、「先生との距離を感じる!」というようなことを話してくれました。

 その中で、ハッとしたのです。この職に就いた頃、特に最初の非常勤時代には、疑問に感じて人間関係科の教員に反発をもって学生の見方をしていた私が、この時期には逆にその時に反発を感じていた行動を当たり前のようにしていたのです。それは、学生が質問を教員にすると、当時、老練な先生方は、「君はどう思いますか?」と応答していたのです。そうした応答に、若かりし頃の津村は、「なんで答えてあげないのですか?」と文句を言っていたのです。せっかく学生が質問しているのに、それに答えずに、質問で返すという行為、このことに腹を立てていたのです。それが、体験学習のファシリテーターは、教えるのではなく、気づくこと、気づきを促進することなのだと理解すると、多くの教員がやっているように、機械的に「君どう思う?」と質問で返していたのではないかと思います。その応答は、津村の考えを述べるわけでもなく、しっかり今起こっている状況を説明するわけではないので、確かに、津村の考えていることはわからず、津村との距離も遠くなっていったのだろうと考えました。それからは、そのような応答ではなく、できる限り自分の考えていることや感じていることもしっかり伝えるようにしたものです。

 ラボラトリー方式の体験学習のもう一人の私の師と仰ぐ、星野欣生先生(南山短大名誉教授)の存在も私に大きく影響を与えてくれました。星野先生は、いろいろな教育現場に連れて行ってくださいました。企業の研修、看護医療の世界での研修、その他かなり幅広くお供をさせていただいたり、後にはいろいろな現場を紹介してくださり、失敗を重ねながらも、ラボラトリー方式の体験学習のファシリテーター体験を積むことができました。まさに師から学んだ基礎を応用する場面をたくさん星野先生からいただけたのです。そして、今も星野先生からは学んでいます。

 このように、自分と学習者との関係や学習者の学びの促進の仕方などをふりかえることを行い、私のファシリテーターとしての礎ができていったのではないかと考えています。まさに「乾タ(けんてき)」の時代を過ごしたのではないかと、回顧しています。

 さらに、私をファシリテーターとして自由に動くことを可能性させてくれたのは、米国留学とTグループの参加者体験、そしてトレーナートレーニングの研修参加でした。
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2014年08月24日

易経に学ぶファシリテーション(16)

■ファシリテーターとしての第二段階「見龍(けんりゅう)」

 潜み隠れていた龍が、ようやく時を経て地上に現れる「見龍」の時代です。「見」という字には、見て学ぶ、見習うという意味を含んでいるそうです。この時代、物事に向き合う姿勢、行動の基本の「型」を見習って、しっかりと身につけていくことが大切になります。師の癖まで似てくるほど大人をコピーすることが、基本の型のマスターだとあっこちゃんは書いてくれています。ただ、ある程度マスターしたら、あたかもやれるようになったと錯覚に陥り、「これは自分のやり方に合わない」などと自分勝手な考えが生まれ、型が崩れることが起こるようです。中途半端な時点での挫折は禁物です。

 こうした時代を、私も歩んだように思います。南山短期大学人間関係科に着任した春から、授業をともにする人たちとのスタッフミーティングで先輩諸氏がどのように考え、どのように振る舞っているのか、見ながら修得していきました。特に、Tグループ(人間関係トレーニング)というラボラトリー方式の体験学習のコアとなるプログラムでのファシリテーター体験では、参加者・対象が学生だけでなく、社会人の人々が集まるTグループのセミナーにも、よく連れ出してもらいました。これは、私の今の宝物の体験です。その師は、中堀仁四郎氏です。私がTグループに関わりだした初期の頃のTグループには、本当にいつも中堀先生とともにトレーナー(ファシリテーター)体験をさせていただき、学ばせてもらいました。参加者の方からは、中堀仁四郎二世かといわれるぐらい、時には中堀さんのコピーかと言われるくらい、グループの中での津村の発言から所作に至るまで似ていた時があったようです。確かに、自分でも滑稽に思うほど、話し方、グループの中でのいすに座る際のすわり方さえ、似ていたのを今でも思い出します。

 そのほかにも、大学の学内の授業は、複数の教員が担当するチームティーチングで、南山短大人間関係科の授業は行われていましたので、諸先輩がたの教え方やふるまい方を見よう見まねで習い、授業内での津村の振る舞いや、学外合宿での学生とのやりとりなどを学ばせていただきました。そうした中で、知らず知らずのうちに、どうも型にはまった問いかけをするようにもなっていたようです。これがしばらくしてから、私のファシリテーター、教員としての姿勢を新たに考え直すきっかけを提供してくれることになったのです。それは、学生からの私への「渇」といったらいいかもしれません。
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2014年08月21日

易経に学ぶファシリテーション(15)

■ファシリテーターとしての第一段階「潜龍(せんりゅう)」の時代

 今回から、6回ぐらいの掲載は、私自身がファシリテーターとして、育ってくる過程をふりかえってみたいと思います。「潜龍」の時代から、ピークを迎え「亢龍(こうりゅう)」の時代まで達しているのかどうかわかりませんが、少なくとも年をとってしまった自分をふりかえるいい機会として、「乾為天」の6つのプロセスの教えを手がかりにふりかえってみたいと思います。

 さて、「潜龍」とは龍の能力を秘めてはいても、まだ時を得ず、力もなく、世に現れることもできない龍の時代と書かれています。それは、何かの世界に飛び込み、本格的に動き出す前の時代と言っていいのかもしれません。「潜龍」の時代は、季節でいうなら、冬の時代であり、何も芽生えない冬の不毛の大地の状況です。冬の大地が春に備えて滋養を備えるように、動かず、静かにじっくりと内面の力を養う時だそうです。

 その時に何をするのか?ここで一番大切なのは「確乎としてそれぬくべからざるは、潜龍なり」と書かれており、「確乎不抜(かっこふばつ)」の出典になっているようです。この時代にしっかりとした、抜きがたい、ぐらつかない志を打ち立てることが大切になるのです。

 思い起こせば、ラボラトリー方式の体験学習に触れるきっかけになったのは、名古屋大学大学院の博士前期課程を修了したその年に、南山短期大学人間関係科に非常勤講師として伺うことになったことからです。当時は、1週間に2コマの授業が2回ぐらいあり、前期の半分で一つの科目が終了するといったかなり大学の教育では異例な画期的な授業形態をとっていました。さすがにこの私もこの授業形態に面食らいました。2コマ続きの授業自身、自分が経験していないし、実習などの体験をした後、ふりかえり用紙というものに、自分の気持ちや気づきを書くことも驚きでした。それを「わかちあう」という言葉も・・・。2年ほど非常勤講師時代を過ごし、常勤講師として着任が決まったのが、1979年の4月でした。着任する前のその年の2月にJICE(立教大学キリスト教教育研究所)主催のTグループ(人間関係トレーニング)に参加することを促され参加したのが、本格的なラボラトリー方式の体験学習との出会いでした。

 面食らった中に、当時、初代学科長のメリット先生からは、非常勤時代も含め、「講義はしなくてもいいです。学生の体験を大切にしてください。」と言われてもなんのことかさっぱりわからないことが多かったのを覚えています。もともと社会心理学専攻の私としては、どんなモデル、理論を教えようかとかとわくわくしながら考えていました。どのような流れで15週の授業を進めるのがいいのか、いろいろ考えていた私には、「教えなくてもいい」は思いがけないメッセージでした。

 そして、2月に参加したTグループ体験後すぐに、着任前の3月に学生のTグループにトレーナー(ファシリテーター)として参加してくださいと言われ、にわかトレーナー(ファシリテーター)体験をすることになってしまったのです。すでに、人間関係科の授業では、教師(ファシリテーターという意識は当時していなかったのですが)ではあったのですが。この5泊6日の濃密な学生との体験、また一緒に組んでくださったもう一人のトレーナー(ファシリテーター)の方との体験が、まさに何もわからない沼地に入っている潜龍のごとく、手も足も出せない状況であったことを今でも鮮明に覚えています。老練なトレーナー(ファシリテーター)は、私から見ると、学生たちを赤子を扱うように、グループ内の関係を濃密にしていったのです。ただ、その過程で起こっている、まさにプロセスは、参加者である学生、またともにいる私(コ・ファシリテーター)にとっては、暗闇の世界での出来事だったように思えたのです。

 そのような苦しい状況の中で、「グループのプロセスをていねいに扱い、グループメンバーとともにそのプロセスを大切にしながら学ぶことができるようなファシリテーターをめざそう」と堅く心に誓ったのが、この時でした。あれから35年。まさに、私が、35年来実現しようと努力してきた志です。「確乎不抜」。この志の実現をめざして、ここ35年あまり、ラボラトリー方式の体験学習のファシリテーターをめざしてきたのだと、いま改めて強く思っています。まさに、このときが、「潜龍」の時代だったのではないでしょうか。
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2014年08月19日

易経に学ぶファシリテーション(14)

■「乾為天」の6つの龍の成長プロセス

 六十四卦の陰と陽の組み合わせのうち、すべてが陽で組み合わされているのが「乾為天」といわれるそうです。八卦の乾(天)+++が二つ重なった卦で天の働きについて説いている卦だそうです。先日発刊された、あっこちゃんこと易経研究家の竹村亞希子さん著書『リーダーの易経『兆し』を察知する力をきたえる」(角川SSC新書)の主たるテーマがこの「乾為天」です。この「乾為天」の6つのプロセスの話をもとに優れたリーダーへと成長していくためのステップを伝えてくれているのです。その中で、6種類の龍が登場します。易経では、龍は組織のリーダーのたとえとのことです。龍は、その働きがリーダーの働きで、龍が雲を呼び雨が降らせる、地上の万物を養う生き物としてたとえられているのです。龍が六段階のステップを経て、優れたリーダーに成長していくというのです。それがリーダーとしての大切な指針を示していることになるのです。詳細な内容は、もちろんその著作をお読みとりください。

 六段階のプロセスとして、第一段階は龍が地中深く暗い縁に潜み隠れている「潜龍(せんりゅう)」、第二段階は明るい地上に現れ目に見える「見龍(けんりゅう)」、第三段階は毎日同じことを繰り返し修養に励む「乾タ(けんてき)」、第四段階は修養を極めリーダーになる一歩手前の「躍龍(やくりゅう)」、第五段階は天を翔け雲を呼び雨を降らす「飛龍(ひりゅう)」、第六段階は高見に昇りすぎた龍が力が衰えて降る「亢龍(こうりゅう)」だと語られています。リーダーの成長のプロセスと栄枯盛衰のプロセスを教えてくれているようです。

 あまり、よきリーダー、よきファシリテーターとして、成長した龍ではないのですが、この教えを手がかかりに自分のファシリテーター、特にラボラトリー方式の体験学習のファシリテーターとしてどのような道のりをたどりながら今に至っているのか、考えてみたいと思います。

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2014年08月15日

易経に学ぶファシリテーション(13)

■六十四卦それぞれに6つのステージが語られる■

 これから、このブログ、どちらに進めばよいのか?ちょっと一息入れたい状況です。この流れのままだと、人生の「時」を物語る六十四卦の話に展開することになるのでしょうか?あっこちゃんに聴いてみたいところです。

 そこで、易経の卦について、もう一度簡単におさらいをしておきます。根源的な宇宙のパワー・この世のすべての物事が生まれるエネルギーの源として「太極(たいきょく)」があると考え、その「太極」は陰(-:実際には--と示されます)と陽(+:実際にはーとして示されます)の二面性が同時にもっていると考えられています。そしてそれを陰と陽の組み合わせ4種類(--、-+、+-、++)ができますが、これでも説明するには少ないとさらに組み合わせ8種(---、--+、-+-、-++、+--、+-+、++-、+++)ができて、これを「八卦」とよんでいます。この八卦を二つ重ねて六十四卦が作られています。陰陽の一つ一つの符号のことを「爻(こう)」とよび、六十四卦は六本の「爻(こう)」から構成されています。六十四卦に「卦名(かめい)」がついており、6本の「爻(こう)」で表されたものを「卦象(かしょう)」というそうです。各卦象は「卦辞(かじ)」といって、その卦の状況が最初に説明され、どのように対処すればよいかが説かれているとのことです。その一つひとつの状況に対して、6段階にステップに分けてそれぞれの小さな物語が語られ、それぞれで登場人物の地位や立場、人間関係の様子が説明され、その場その場で起こる場面の説明と対処のしかたを教えてくれているのが易経だそうです。あっこちゃんの著作より、かなり引用と学ばさせていただいています。

 よってこの後は、六十四の卦のそれぞれの場面と段階を追った現象の理解と6つの段階的な展開とその教えを読み込むことによって易経から大きな学びが得られることになりそうです。六十四のどこからどのように手をつけたらよいのか、なかなか悩ましい課題です。

 でも、そこはそこ、易経のすばらしい展開の仕方、システマチックなものの見方と教えが組み込まれているようです。ただ、「易経から学ぶファシリテーション」としては、どのような形でこの六十四の卦から学びをいただくのか、現在思案の最中です。
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2014年08月13日

易経に学ぶファシリテーション(12)

■「陰と陽」の組み合わせで紡ぐ64のストーリー:六十四卦■

 陰と陽のお話の続きです。すべてのものごと、できごとには陰と陽があるとのお話でしたが、まだまだ奥が深そうです。まず、それほど、単純に二面性でとらえるのは難しいでしょうというご意見も出そうです。人間の性格は、強いか弱いか、きびしいかやさしいかといった有無ではなく、少し強い少し弱いといったこともありそうです。

 そこで、陰と陽を2種組み合わせて、4種類を作り、それでも単純すぎると言うことで、3種を組み合わせ8種類に分けたようです。それを、「八卦(はつか)」とよぶそうです。

 それを、乾(けん) 兌(だ) 離(り) 震(しん) 巽(そん) 坎(かん) 艮(ごん) 坤(こん) 名付けています。それらを自然現象に配して、天(てん) 沢(たく) 火(か) 雷(らい) 風(ふう) 水(すい) 山(さん) 地(ち)と振り分け性質を示そうとしています。それぞれ8つに意味があるのです。詳細は、アッコちゃんの著作(2012&2014)をご覧ください。

 そして、さらにその「八卦」を二つ重ねて、8×8の卦を作って、六十四卦が作られて、人間に起こりうるあらゆる時の物語が書かれているとのことです。まだまだ私には読み込めないほどの深さです。ただ、時の物語の時には、いわゆる時間としての時だけでなく、もっとストーリーとしての時が含まれているのです。たとえば、うれしかったときや苦しかったとき、どのような状況や環境で、そこに誰がいて、自分はどのような立場であって、そこでの人間関係や心理状況はどのようだったのか、そしてその結果はといった一連のシーンが時として刻まれているのです。

 易経が教えてくれる「時」には、「時・処・位」が含まれているのです。「時」とは時代や時間の変化、タイミング、「処」は場所、環境、状況、心の状況、「位」は立場、地位、人間関係をさすそうです。かなり深みにはまりそうです。

 ここでは、一人ひとりの状況を理解するときに、この3つの視点から彼・彼女が置かれたシーンを理解するようにしたいものです。まさに、人は「時・処・位」の複雑の様相の中で生きているのです。グループ体験を語ることも、またグループ体験の中で語られる参加者の生き様も、まさに「時・処・位」から一つのシーンとして理解することが大切なのでしょう。

 そして、易経は、それぞれのシーンにあわせた対処の仕方も教えてくれるのだそうです。これから学んでいきたいと思います。

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2014年08月08日

易経に学ぶファシリテーション(10)

■「天の時、地の利、人の和」の三条件を満たすこと■

 あっこちゃんは、(大)自然はいつも何も包み隠さず、変化のお手本を示してくれていると話されます。人間がそれに習うならば、人生で起こることも、わかりやすく、やさしいものになるとおしえてくれているのです。「易簡」ですね。

 しかし、私たち人間はそうのように自然の法則に素直に従おうとしないものです。少しでもたくさんのものを持ちたくなる欲が生まれたり、こうなりたいああなりたいと望みや期待が沸いてきます。私自身のそのお手本のようなものです。陰と陽を見誤って、冬の凍った大地に種をまくようなことをしてしまうものです。

 「天地人三才」という言葉があるそうです。「三才」とは三つの才能、働きをさしています。孟子の言葉に「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」というのがあります。ものごとを成就するためには「天の時、地の利、人の和」の三条件を満たすことが大切だと言われているのです。

 「天の時」とは時、時代、タイミング、「地の利」とは環境、場で、とりわけ大事なのが「人の和」が大事だと言われています。時と環境が整って、人の働きが加わってこそものごとは成就するのです。人間は天と地の中間に立っており、易経は天道、地道、人道、つまり天の働き、地の働き、人の働きの3つの陰陽がぴったり合ったときに変化が起こり、新たなものが生み出されると考えられています。

 ファシリテーターは、まさにこの3つの働きをしっかりと見定める必要があるのでしょう。天と地との間に立っている一人の人間として、天の時と地の利をいかに用いるかといった課題・テーマがあると言ったらいいでしょうか。そして、もっと欲張った考え方かもしれませんが、天の時と地の利の間にいるメンバーやグループの陰と陽を見定めながら、自然の法則に逆らわないように働きかけることができればすばらしいファシリテーションであるといえ、またファシリテーターになるのでしょう。
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2014年08月04日

易経から学ぶファシリテーション(09)

■万物に「陰と陽」の二面性を観ること■

 ずいぶん7月19日開催の日本ファシリテーション協会中部支部主催の定例会で出会った「易経とファシリテーション」ここまでシリーズを重ねてきました。

 次は、3つめのお題であった「陰の力と陽の力」です。これは、かなり内包されている意味がたっぷりありそうで、津村の理解では浅薄な記述になるかもしれませんが、お許しください。

 古代の聖人伏羲(ふっき)が陰陽を唱え、八卦(はつか)さらに六十四卦(ろくじゅうよんか)を考案したのが易経のはじまりとされているようです。易経は、ものごとを陰か陽かに判別するところから始まるようです。

 つまり弱い(陰)か強い(陽)か、裏(陰)か表(陽)かといったように、正反対の性質にもの後を分けるのです。あっこちゃん(2012)より、下記のような例が挙げられています。
  <陰> 地 夜 悪 邪 止 弱 裏 柔 小 月 寒 冬 女 子 ー
  <陽> 天 昼 善 正 動 強 表 剛 大 日 暑 夏 男 親 +

 すべてのものごとは、正反対の二面性をもち、陰と陽とが同時に生じていると考えています。人間は、陰でも陽でもない対局として考えられ、それを性別で分ければ女性が陰で男性が陽となります。性格で考えると、強い(陽)か弱い(陰)かなどと分けることもできるでしょう。自然を天と地に分けると、天(陽)と地(陰)になります。

 陰と陽は表裏一体のものであると教えてくれています。どちらか一方がなければ、もう一方がないということです。昼がなければ夜もない、逆に言えば、昼があるから夜があるといったらいいんどえしょうか。陰といえば、善悪で言えば悪であり、優劣で言えば劣っているということですが、それで優劣をつけることではないのです。どちらもともにあることと理解することが必要なのです。

 このお話から、私は、図地反転図を思い出しました。何かを見たときに、図になるもの(陽)と背景の地になるもの(陰)に分けられます。地があるから図があるのであり、図があるから地があるのです。こうした関係が陰と陽との関係なのだろうと思います。私たち、グループを見るときにも、どうしても自分の目の前で特別に目立った存在であるメンバーであったり、出来事であったりすることにとらわれやすいものです。目がそこにいくのです。しかし、その背景になっている人たちにも光を当てることが大切なことは結構あります。何か反対意見を強く言っている人が図になり、それを黙って見守っている人は扱われずに時が過ぎることがあります。また、逆に、ファシリテーターに都合の良いことを言ってくれるメンバーに光が当たり、少し疑問に感じているメンバーがいても気づかずにやり過ごしてしまうことがあるのではないでしょうか。

 このすべての出来事には、「陰と陽がある」という視点は、ファシリテーションにおいて絶えず持ち続ける必要がある視点だと思います。たくさんの事例が思い出されそうです。

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2014年08月03日

易経から学ぶファシリテーション(08)

■「兆しを観ること」が可能なのか?■

 シリーズ(07)において、「兆し」を観るための、目に見えるここの動きの変化を丁寧に見て、観ることができるようになることがファシリテーターの大きな働きであることを紹介しました。

 「易は窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれが久し。」という言葉あるそうです。このことは、この世のあらゆるものは究極に達すると変化するということの意味だそうです。「究極」とは、とことんまでいってピークに達するということだそうです。つまり冬が窮まれば春になるというわけです。春が窮まれば夏になるというように、ものごとは行き詰まることなく、新たに成長し発展していくと考えられています。

 易経では、ものごとが窮まったときに、兆しが生じていると教えてくれています。これもあっこちゃん(2012)の中でのお話です。易経では、冬がピークを迎えるのを冬至としています。これが潜象の意味として理解するとよいそうです。冬至は12月22日頃ですが、冬本番はこれからなのに、こんんなに早くという感じです。

 冬至は、一年で一番、日が短くなり、この日を境に日が長くなっていくのです。「易は窮まれば変ず」とのことです。潜象として冬が春へと向かう瞬間なのです。このように春の兆しは、私たちが春を肌で感じるずっと前に生じていますが、兆しから萌しがあらわれるまでには、かなり時間差があるのです。苦しい時期を乗り越えたことを思い出す際に、後から思い返すと、あのことがきっかけだったかと思い出すことがあるでしょう。ただ、その時には、まだ苦しいまっただ中でいると、その兆しさえ感じ取れていないこともあります。それがしばらく時間を経て後からみると、今はこんなに改善したかと思えるように状態になっているということがあるのでしょう。

 「易は窮まれば変ず。変ずれば通ず。通ずれが久し。」の言葉を理解していくと、前の(07)で書いていたファシリテーターは「兆し」を観ることが大切な働きと言うことは、大それた発言であったと言わなければなりません。グループ体験の渦中にいて、とても厳しく、苦しい時を過ごしている時に、春を感じる兆しを観ることができればいいのですが、それは欲張りなことのように思います。兆しを観るよりも、その苦しい状況である「今ここ」の中でメンバーとともにいることが大切なのではないかと思えてきます。この先には窮まれば開かれてくる、変化してくる世界が生まれるということを信じて、メンバーと生きることができることが、ファシリテーターの大切な働きかけ、生き方と言えるのではないでしょうか。

 そのようなことを易経の「兆しを観る」から考えてみました。

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2014年08月02日

易経から学ぶファシリテーション(07)

■適切に対処する「時中」のタイミングとは■

 グループや個人の状況をみながら、働きかけるファシリテーションのタイミングはいつがいいのでしょうか?四季にあった時中、その時に適切な対処をする、ファシリテーションをすることの難しさがあります。自然に季節があるようにその季節を知り、その季節にあった時期に種をまくようにと言われても、いつその行いをすればよいのか、疑問がわきます。

 そのことについて、あっこちゃん(2012)は、「兆しを観る」ことだと言ってくれています。このときに、「見る」ではなく、「観る」という漢字を使い分けて紹介してくれています。「見る」とは目に見えるときに使い、目に見えないものを感じとって察することを「観る」と易経では使い分けているのです。

 あっこちゃん(2012)の著作の中で、物理学者でカタカムナ文明で有名な楢崎皐月(ならざきこうげつ)さんとの出会いが書かれています。楢崎さんが「潜象は現象に前駆する」と言われたそうです。その時に「易経のいう兆しとはこれだ!」と一瞬にして腑に落ちたそうです。種をまく時期(タイミング)とは、この兆しを観ることです。

 易経の「きざし」とは目には見えないけれど感じることができる、察することができることです。このことは、グループ体験のファシリテーターにとっても大切な視点になります。まさに目の前にいるメンバーやグループの中に起こっていることを自分の目で見て、そのメンバー小さな動き、変化に気づき、その人の中で起こっていること(プロセス)やそのグループの中で起こっている(プロセス)など目に見えない現象を感じとり、察することがどれほどできるかが、大きな仕事になります。このことは、ファシリテーターの感受性と言ってもいいでしょう。ファシリテーターにとってこの兆しを観ることができる力(感受性)が豊かであることが大事になります。

 この兆しを観るための、目に見える一人ひとりの動きの変化を丁寧に見て、観ることができるようになりたいものです。
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2014年07月30日

易経から学ぶファシリテーション(06)

■グループに「不易」を観るとは■

 前回は、「変易」のことを書きましたが、今回は「不易」のことに触れます。「変易」「不易」があらわす、循環・不変のサイクルは、すべての事象に通ずる栄枯盛衰の道理と言われています。グループ体験の中での「変易」が個人のプロセス、対人関係のプロセス、グループのプロセスとしてとらえるならば、その変化の法則性、個人の成長過程やグループの変化過程が「不易」としてとらえることができるながら、ファシリテーションには大きな視点となるのは間違いがありません。

 たとえば、個人が自分の体験を語る変化過程には、4つのステップがあるというお話があります。第1ステージは「断片的な要素を羅列する初歩的なステージ」、第2ステージは「状況まで語ることができる状況的ステージ」、第3ステージは「パターンとして語ることができるパターンステージ」、第4ステージは「自分のパターンを修正・変更できるパターンステージ」です。(プロセス・エデュケーションを参照)

 グループの変化・発達段階も、さまざまな研究者が多くの研究をレビューしながら、提案しています。シリーズ(04)で、紹介したタックマン・モデルも一つです。その他に、たとえば、ラコウシア(Lacoursiere,1980)は、さまざまな分野での200にのぼる集団発達研究をレビューして、下記のような発達モデルを提唱しています。彼は、集団の発達過程を社会的情動的(social-emotional)もしくは課題関連的(task-relatied)行動にしたがい、5つの段階に分けて説明しています。それらの段階は図?に示されています。「導入(orientation)」−「不満足(dissatisfaction)」−「解決(resolution)」−「生産(production)」−「終結(termination)」の段階として命名しています。

 グループは成長する・発達するという視点をもてば、今のグループの状況をよく観て、そのグループに働きかけるファシリテーションが有効になるでしょう。グループのメンバー間において、気持ちの上でお互いに懸念を強くあり、メンバー相互に不信な思いが渦巻いている中で、何か生産性を上げようという意図で働きかけてもそのファシリテーションは有効にならないでしょう。早く実りが得たいと思って、凍った冬の題意に種をまいても秋に実りが得られないがごとくです。春に種をまくために冬の大地を滋養に富んだ豊かな土壌を作る、雪に覆われた静かな時ように、今のグループの状況で一人ひとりの思いの違いや関係のありようを丁寧に吟味し、関係性が熟成するように豊かに育むためのファシリテーションが大切になるということを教えてくれています。

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2014年07月29日

易経に学ぶファシリテーション(05)

■グループの中に「変易」を観る■

 グループの変化とファシリテーションのありように、易経における「変易・不易・易簡」があると書かせていただきました。ここからはあっこちゃん(2012)を参照させていただきます。易経の「易」とは、変わる、「変化する」と言うことだそうです。そして、「易」の一字には、「変易」「不易」「易簡(簡易)」という3つの意味があるそうです。

 「変易」とは、この世の万物は一時たりとも変化しないものはなく絶えず変化し続けているということです。

 「不易」とは、「不変」ということで、すべてのものは変化しているが、春夏秋冬の季節のめぐりや朝昼晩といった一日のめぐりのように、一定不変の「変わらない」法則性があるということです。

 「易簡」とは、「易しい、簡単」という意味です。「変易」「不易」があらわす変化と不変の法則に基づいていることを私たち人間が理解できれば、何事もわかりやすく、この世での生活も行きやすくなるということです。

 グループ体験に場面を移してみましょう。ファシリテーターが関わるグループは、まさに一刻一刻変化しています。グループのメンバーとしている人の気持ちや考え、行動が一瞬一瞬変化します。そして、そのメンバーの変化がグループの変化をもたらします。またグループの変化が個人のありようも変えていきます。そこに起こっていること、それをプロセス(人間関係の過程)と津村はよんでいますが、そのプロセスは川の流れのように変化をし続けているのです。グループの何か気になることがメンバーの中に起こり、そのことを発言すれば、その状況は変わります。気になることを公にしなければ、またさらにその状況は変化し、そのメンバーにとってよくない状況はさらに深刻になっていきます。このグループのプロセス、対人関係のプロセス、個人のプロセスに着目するということは、ファシリテーションにおいて、働きかけてもかけなくても、グループやメンバー個人、またメンバー間の関係はすべて「変易」であるということをしっかり認識しておく必要があります。

==========ずいぶん前の記事ですが==========

グループ:その誕生から死までのサイクル「集団行動」、「グループの課題・問題」、「対人的問題」と「リーダーシップの問題」のそれぞれの次元における集団発達のモデルの考察を行っている。それらによると、基本的には、「ステージT:幼児期(Forming)」、「ステージU:青年期(Storming)」、「ステージV:成人期(Norming & Rerforming)」の位相があることが示されている。さらに、最終ステージとして「変容(Tranforming)」の位相があることを示している。
1987 南山短期大学人間関係研究センター紀要『人間関係』Vol.4,p.130-136. R.C.Weber 1982 The group: A cycle from birth to death. In L.porter & B.Mohr(Eds.), Reading book: For human relations training, NTL Institute.
      ↓
http://www.jiel.jp/minilec-pdf/group-tanjosimade.pdf
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2014年07月28日

易経に学ぶファシリテーション(04)

■グループの変化モデルに四季をみる■

 (03)の記事の中で、グループの中にも春夏秋冬があると書きました。グループの変化の流れを「グループの誕生から死」という表現で表すことがあります。グループ体験を重ねていくと、グループのメンバー間の関係、またグループの生産性(目標達成の度合い)の変化などいろいろな視点からグループの変化を捉えることができます。また、機会があれば、いやこのシリーズの合間に「個とグループの変化モデル」といったシリーズも書かなければと思い始めました。こちらは、このシリーズがもう少し落ち着いてから書きます。

 と言いながら、読者の方々に比較的知られているのはタックマンのモデルでしょうか?
 タックマン(Tuckman,1965)は、小集団の発達に関する50ほどの研究をレビューしています。そして、グループの現象を社会的または対人的な視点によるグループの構造と、相互作用の内容としてのグループの課題に関する動きとの二領域から分類を試みています。その結果、一般的な発達段階として4つの位相を見いだしています。彼は、これらの位相を簡潔に「形成(forming)」−「混乱(storming)」−「規範化(norming)」−「遂行(performing)」として記述しています。きっとこうした位相を考えると、グループにも季節があるといえるのではないでしょうか?

 さて、この変化の捉え方として、易経では「変易・不易・易簡」という視点をもつことを教えてくれています。これも、グループ体験を扱うファシリテーターにとってとても大切な極意です。

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2014年07月27日

易経に学ぶファシリテーション(03)

■四季と時中のお話より■

 易経のお話を聴く中で、あっこちゃんが何度も言っているのが、「(大)自然に学ぶ!」ということです。時は、春夏秋冬巡ります。春には春のことをする。冬には冬のことをする。その時にぴったりとあたることをすることを「時中」というそうです。その時の「時流」に乗ることとは全く異なり、時流に乗ることは、時流とともに滅びるとのことです。これがタイトルとなっているのが竹村さんの新刊「リーダーの易経」の帯に「龍が教える帝王学(乾為天)時流を追うものは時流とともに滅びる 時中を観よ」と書かれています。すでにこの言葉にグサッときますね。寒く冷たい季節の中で、種を植えて早く育てよと力を入れても実を結ばないということのようです。

 易経のお話の中で、竹村さんが何度も伝えていらっしゃったのが、易経は、たとえの話です。そう!この隠喩を通して、何を私たちが学ぶかと言うことが大切になるということです。その冬の季節には、冬枯れた草木が土に落ち、春に種を植えられそれが十分に育つための豊かな土地を耕すときといえるのでしょう。それは、力を備えるチャンスの時とでも言えるでしょう。

 こうした時は、グループ体験の中にも結構あります。きっと経験された人がいると思います。それは、始まりの時、春夏秋冬、いつも春から始まるとは限りません。グループが生まれ落ちた季節が、冬の時かもしれないのです。また、グループが展開していく中で、疲れ果て、立ち止まり、前に進むことへの力が乏しくなってきている時があるかもしれません。その時に、ファシリテーターが一人、がんばってこのグループを何とかしようと働きかけてもグループのメンバーには意味をなさないことがあるのではないでしょうか?

 最初の一人ひとりが不安な気持ちで集まり、グループの目標を形成しようとしている時に、なんとか目標を作らせようとして、いろいろと働きかけても無駄な力かもしれません。ファシリテーションとはそのような時にある働きかけが必要なのでしょう。このことを易経が教えてくれています。目標づくりより前に、一人ひとりが今どのような思いでここ(グループの中)にいるのか丁寧に掘り起こし、一人ひとりの力を耕すことが必要なのでしょう。グループ活動の途中でもそのようなことが必要なときがあります。

 「四季と時中」まさにグループの四季を観て、時中である適切な対処ができることがファシリテーションの極意でしょう。

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2014年07月26日

易経に学ぶファシリテーション(02)

■グループの目標によって異なるファシリテーション■

 グループの目標を明確にし共有する働きがファシリテーターの大切な働きと前回書きました。このグループの目標によって、ファシリテーターの働きかけが大きく異なります。特定の任務を与えられ、その問題を解決すべく誕生したプロジェクト・グループにおいては、課題を解決することが大きな目標となるでしょう。

一方、グループ体験を通して、自分の人とのかかわり方やグループのマネジメントを学ぼうとするグループでは一人ひとりの中におこるプロセスを丁寧に扱いながらすすめることが目標となるでしょう。それぞれのファシリテーターの働きは、異なるものです。一つの例でいいますと、何か話し合いのために障害が生まれたら、前者のグループのファシリテーターは、その障害をいかに乗り越えられるか、またはその障害が予見されたらその障害を起こらないようにして、課題解決がスムーズに行われるようにファシリテーションすることを求められるでしょう。

一方、後者のファシリテーターは、グループメンバーがぶつかる障害をともに体験しながら、その障害をいかに乗り越えるのか、一人ひとりがどのようにその障害に立ち向かったり、相互作用を通してグループとして成長することを意識的に学ぶことができるかを支援することになるでしょう。

それぞれの働きには、障害を取り除くのがよきファシリテーションか?障害に対峙することがよきファシリテーションなのか?易経からの学びは、グループの目標は異なれど、共通した視点を提供してくれるかもしれないと感じています。もしかすると、より体験から学ぶことを意識したファシリテーターにヒントをくれるかもしれません。

 さて、易経との出会いは、シリーズ(00)で書きましたが、直接私の心に届いたのは、2014年7月19日(土)に、竹村あっこちゃんの直接お話を聴く機会があったことからです。その時の、ノートを恥ずかしいながら(といいながら、見せたがりなのですが)アップしておきます。

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 その時のテーマが、3つ。(1)「四季と時中」、(2)「変易・不易・易簡」、(3)「陽の力と陰の力」でした。これらのテーマには、たっぷりと易経のエキスが一杯詰まっているのだろうと思います。少しだけあっこちゃんの話を聴いただけで、わかった気になる軽い乗りのつんつんこと津村ですが、お許しを願って、これらのテーマを切り口でファシリテーションを考えていきたいと思います。

 やっと、入り口に入りかけて、易経のドアを開けたところです。
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2014年07月25日

易経に学ぶファシリテーション(01)

■ファシリテーター、ファシリテーションとは■

 本シリーズを書き始めますと宣言してから4日も経ってしまいました。いよいよスタートします。

 まず、ファシリテーターやファシリテーションについていろいろな考え方や定義があろうかと思いますが、津村(2012)は、下記のように定義させて頂いています。

「ファシリテーターとは、プロセスに働きかける(介入する)ことを通して、グループの目標をメンバーの相互作用により共有し、その目標達成することとメンバー間の信頼感や一体感を促進する働き(ファシリテーション)する人」と考えています。

 この定義の中のキーワードは、「プロセス」、「グループの目標」、「目標達成」、メンバー間の信頼感」でしょうか?

 「プロセス」は、グループの中で話し合っている話題である「コンテント」と対比して、グループの中で起こっていること(関係的な過程)を指しています。テーブルの上に乗って議論している活動内容「コンテント」と同時に比喩的に言うならテーブルの下で起こっている「プロセス」も大切にしながら関わることがファシリテーションでは大切になります。いわゆる議題をアジェンダと呼ぶように、テーブルの下で起こっていること(プロセス)をヒドンアジェンダ(hidden agenda)と呼んだりします。プロセスの考え方はこのヒドンアジェンダから来ているのではないかと思います。ファシリテーターが、議論の中に飛び込んでしまったのでは、メンバーと変わらないし、影響力が強い人であるならば、ファシリテーターではなくリーダーと呼ぶ方がふさわしいかもしれません。

 今グループの中に起こっていることに光をあてながら、まずは、グループが取り組む「目標」を明確にしたり共有したりすることを支援するのがファシリテーションの大切な働きになるでしょう。そして、その目標のもと「目標達成」と「人間関係の維持と形成」に向けてグループのメンバーが自立的に動けるように働きかけていくのがファシリテーションといえるでしょう。このファシリテーションの視点と働きかけはかなり複雑で、とても難しい技能を必要としています。

 これらの働きの極意を「易経」(竹村あっこちゃん著)から学ばせていただこうと考えたのです。

 またまた、序章で終わりました。次回こそ、「易経」の入り口に立ちたいと思います。
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